同じ時代を生きる同級生として書かせて頂きます。

僕達の出会いは高校でした。出会った時から既に、各々のなかで『如何に生きるか』という問いがとっくに始まっていました。初対面、開口一番でお互いの夢を語る。こんなことは後にも先にもない経験だと思います。

paioniaを語るに際して、僕個人の音楽観が出てきてしまいますが、ご容赦お願いします。

そのかわり、自分の発言には責任を持つ所存です。僕はpaioniaの高校時代からの友人であり、

会社員であり、ちょっとした音楽経験者です。

『音とは何か?』『歌とは何なのか?』ということを考えますと、リスナー、プレイヤーともに様々な見解があり、一つの答えには纏まりきらないと思います。僕も様々な場面で色んな音楽、歌を聞きますが、やはり、『魂が聞こえる歌(曲)』が好きなんです。どんな時でも気軽に聞けるという類のものは、彼らの曲の中では少ないのかもしれませんが、その分、paioniaの音には魂が籠っている気がします。心の奥底に潜り込み、そこにあるものを見つめ、音と言葉を拾ってくるとでも言うのでしょうか。とことん、現実と対峙していくのです。これは、曲作りということだけではなく、音を通して人生、人の生の中にあるものを表現しようとしている、ということなのでしょう。また、生きるということは、自分だけで実現できるものではないと思いますので、彼らの音楽には、一人称だけでなく、二人称、三人称、沢山の人の想いが詰まっていると思います。paioniaの音というのは、そんな生きた音だと僕は思っています。

paioniaの曲の中では、悲しいに代表されるように、マイナスなニュアンスの言葉をよく聞きます。完全に私見ですが、嬉しいことって共有しようと思うまでの爆発は起こらないんですよね。自分が幸せなので、そこで完結してしまっていて、それをまた誰かに投げかけたいと思うほどの衝動に駆られないと思うんです。(それに、幸せをばら撒くのは何か日本人らしさに欠けるというか奥ゆかしさに欠ける気がします、どういう音と歌で表現されるかにもよりますが)でも、、悲しいことって、悲しいという表現で合っているか分かりませんが、自分の心の中の葛藤や苦しみってどこまででも突っ走って行くと思うんですよね。なかなか昇華できないんです。それが彼らの曲になっている部分が多いのかもしれませんね。これは外れているかもしれませんが(笑)ただ、一言付け加えますと、彼らは悲しみを強調したいわけではなく、本気で生きているだけなんだと思います。本気で生きているからこそ、自然体から出た一発の音が力を持っているんだと思います。

最近思うのは、paioniaの音も少し変わってきたのかなということです。勇成も岳大も僕も(笑)今年で30歳になります。自らの道を作ることと並行して、誰かの道を作ることにも尽力していかなければならない年代に入ってきたような気がします。
年を取るほどに、あたり前のことが愛しくなりますし、失ったものも増えてきたのかもしれません。生きることの儚さも何となく理解してきたから、生きることの喜びも感じることが出来る。
基本姿勢は全く変わらないんですが、今まで他を寄せ付けようとしなかった彼らの頑固な音は、少し器用に自分たちの優しさみたいなものも表現できるようになってきたのかなと思うのです。

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最後に友人として、

自分達の心と理想を信じて、音楽業界と人間界に風穴を開けよう。
俺の夢の一つは君たちと命ある限り歌い続けていくことです。
尾崎豊の悲しみを知りつつ、ジョン・レノンのイマジンを歌おう。
応援しています。

皆様、纏まりのない駄文となってしまいましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。存分にpaioniaの楽曲をお楽しみ下さい。

青柳裕貴(友人)

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